実はもう何ヶ月も前に買ったまま見てなかったDVDを
やっと見ることができました。
この映画は大学の時に授業の中で見させられて、
その時に結構興味を持ったのですが、
所謂中世を舞台にしたサスペンス映画ではなく、
キリスト教における宗派の対立をテーマにした
壮大な史実映画ともいえます。
で、もう5年ぶりくらいに見たのですが、
これはおもしろいです。
主演がショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターで、
監督がジャン=ジャック・アノーなのですが、
そんな豪華さはこの映画に必要なく、
やっぱ原作が良かったんじゃないかと思います。
宗教という問題は、英語学科の授業にはついて回るもので、
実際自分がアメリカ留学していた時にも
大きく悩まされたテーマでした。
ここで大事なのは「宗教=問題」であるということです。
この映画で私が注目したシーンは
「心を尽くして知恵を得ようとした。誤りや愚かさを知ろうとした。
なぜなら知恵が多ければ、悩みも増えるからである。
知識とともに憂いも増える。」
という本を朗読するセリフ。
この映画における最大のキーポイントは「禁書」。
印刷技術の無かった当時において、
書物は写されることでしかコピーが残らない
非常に貴重なものとされた。
だから過去の、先人の、聖人の記録は
限られた者のみがそこから知識を得て、
また楽しむことができたのです。
そしてなぜ先のセリフに私が注目したかというと、
戒律の厳しいカトリックにおいて
そうした聖書以外の書、聖人ではない者の書いた書は
邪悪で異端に導く恐れがあると封印した点が
とても真理をついていると感じたからです。
宗教とは盲目的従順によって成り立つもので、疑う心がそれを崩す。
つまり知識、知恵をもって粗探しをすれば、その嘘に気づいてしまう。
書はその危険性を当時最も帯びたものだったのです。
知性がその嘘をひも解くというのは
これまでもアリストテレスやプラトン、そして近代では
ニーチェやサルトルが哲学という名で実践してきたことですが、
こうした知識人の言葉が広まり、人々が知恵を持つことで、
神の栄光が失われることを当時の修道院は恐れ、
映画の中ではアリストテレスの書いた書を
「禁書」として描かれます。
この禁書に書かれた内容は、
ベネディクト会において禁じられている「笑い」を肯定した喜劇賛美です。
最後の方のシーンで修道院の長老がこういいます。
「笑いが恐れを殺せばもはや信仰は成立しなくなる。
民衆が悪魔を恐れなければ神は必要ない。」
またショーン・コネリー扮するウィリアム修道士はこういいます。
「信仰と狂信は紙一重だ」と。
悪魔あっての神とあれば、これまた狂信と思えてしまう。
この映画はそうした問題に正面から向き合っています。
もちろん当時と現代ではキリスト教事情が違うから描けたのだろうけど、
当時の大きな問題としてある宗教裁判や魔女裁判といった信仰が人を裁くという、
現代では考えられない事実を描いた点が興味深い。
もう一箇所興味を持ったセリフ。フランシスコ会の長老が言う。
「美しい聖母だろ。女というものはもともとは邪悪だが、
神の恵みで崇高になる。そして天の恩寵の伝え手となるのだ。
美しきもの、それは女の胸元、わずかに盛り上がった乳房。」
こうした考えがそもそも魔女を生み出したのだけれど、
実際にはそうした性欲もごく自然な欲求であり、
従えばいいという風に考えるようになる。
宗教という問題をほぼ解決した
あまりにも裕福で幸せなこの日本という国では理解しがたいかもしれなけれど、
他国ではこの問題が人々を狂わせ、戦争にまで発展しているという事実を
真剣に考えなければならないと思います。
あまりに大きな問題ですが、
私自身は宗教が人々にとって必要なくなったとき、
みんなが幸せに暮らせる世界がそこにあると信じているので、
この映画はその大きなテーマにひとつの疑問を投げかけた
とても大きな勇気ある作品だと思っています。
まぁ、堅っ苦しく考えなくてもおもしろい映画ですよ。^^